観光福祉タクシーかねだオークラのドリーム

東京湾横断鉄道アクアレイルラインの必要性と健康長寿を保つためのヒントを書きたいと思っています

袖ヶ浦市、木更津市、君津市、富津市の上総地区を発展させ、百万都市をめざそう

 上総地区の対岸の東京都、川崎市、横浜市、横須賀市は、大都市として発展し続けています。君津市や富津市は人口が減り続けいます。千葉県三角構想によって成田地区の成田国際空港は、利用者も増えて、益々便利になっています。
同じ三角構想に計画された上総地区は、でおくれてしまいました。成田地区に国際空港をつくるときに、木更津市も候補地にのぼりました。しかしながら外れてしまいました。それは空域の問題が、おおきくかかわっています。東京、神奈川の西部地区の空域は、戦後アメリカ軍の航空管制下にあります。その結果として、羽田の東京国際空港に発着する飛行機は名古屋、大阪等に直接飛ぶことができません。東京湾や上総地区の上空を大回りしながら飛んでいます。50年前、私が大学1年生の時ヨーロッパに旅行しました。オランダ、ドイツ、オーストリア、イタリア、スイス、フランス、イギリス等をバスで1か月かけて移動しました。帰国する時アンカレッジから羽田の飛行場に着陸する直前に、木更津駅の上空を飛行しましたので、駅がはっきり見えたのを覚えています。羽田空港と木更津との飛行ルートが重なってしまうということで成田に国際空港の建設がきまってしまいました。
 富津市では、富津岬の北側か南側に飛行場を建設しようという計画があります。ニューヨークやパリ、ロンドン等の大都市では、複数の飛行場があります。しかし富津飛行場は、空域や航空管制の問題が解決しませんとなかなか進行しないでしょう。
そこで、私は富津市にコンテナを取り扱う港、クルーズ船の寄港するする港を建設すれば良いのではないかと考えています。
これからも国際分業化が加速化してコンテナ船の寄港が増加して、港が不足してしまいます。クルーズ船の需要も増え港に停泊できず、すどうりされてしまいます。港は飛行場と違って、騒音や落下物や事故がたいへん少ないです。
東京や横浜市はコンテナターミナル、クルーズ船の桟橋の整備をおこなっています。木更津市もクルーズ船の寄港を考えています。
 港までのコンテナの運送やクルーズ船の旅客の送迎は、どうしたら良いのでしょうか。アクアライン、関東自動車道、圏央道、16号がありますが、それだけでは足りません。東京湾横断鉄道(アクアレイルライン)が必要です。コンテナは列車にのせて東京貨物ターミナル駅や川崎貨物駅に運送します。旅客は鉄道を利用して東京、横浜の観光をしていただきます。
 鉄道は渋滞もなく、時間も正確で大量輸送に最適です。
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明治維新から150年。日本に鉄道が開通してから146年です。

1872年10月14日 新橋駅ー横浜駅間が開通して、明治天皇のお召列車が往復しました。10月15日正式に全線営業を始めました。全線29キロメートルのうち3分の1は海上線路でした。これによって日本の鉄道事業がスタートしました。
 1854年ペリーの黒船が2度目の来航をして3月8日横浜村で会談を開始、3月31日日米和親条約が締結されました。当時の横浜村は、東海道から離れており80軒ほどの漁師小屋が建ち並ぶ゜半農半漁の漁村の寒村でした。
 木更津は江戸幕府から江戸ー木更津間での渡船営業権、日本橋「木更津河岸」を拝領地として与えられ、特権をもっていました。安房、上総、江戸間との海上輸送を取り扱う流通処点として急激に発展しており、五大力船としての木更津船は有名でした。
 なぜ横浜と木更津の立ち位置が逆転してしまったのでしょうか。横浜は1859年6月2日に開港して居留地が作られ海外との交流がはかられました。そして鉄道がひかれました。
 私は、新橋ー横浜間にみられる鉄道輸送がおおきく関係していると考えています。そして東京ー木更津間の距離も大事な点であると思っています。現在横浜ー東京間は、新幹線、東海道線、横須賀線、京浜東北線、京急線。東急線等が走っています。それに比べると木更津ー東京間は内房線だけです。木更津から東京に行くのには、千葉から浦安までの区間、大回りしなければならないので距離、時間ともかかってしまいます。これらのハンデをなくすためには、東京湾横断鉄道を通して東京ー木更津間を45分で結ぶことです。これによって木更津地区は江戸時代と同じような繁栄を享受できるでしょう。


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